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僕らに出来ること。




こんにちは。今日も無事に1日が終わったことに感謝しているMitsです。



長い長い船の準備期間が終わり今日が新しい船の航海初日でした。まだまだ問題だらけで改善点はたくさんありますがスパメンバー全員が努力し,
より良くしようとがんばったいます。誰一人サボることなく前へと進んでいます。こういう職場で働くのはとても気持ちがいいものですね。
この2週間自分が鍼灸師として船に乗ったことを忘れるくらい掃除や配線の整備、ジムのトレーニング器具の配置換えなどスパの開業準備に追われていました。おかげさまでゼロからスパを立ち上げろと言われても難なくこなせそうです笑



僕は昔から何事も経験だと思い、任されればどんな仕事でもこなしてきました。正直鍼灸師以外の仕事でもうまく立ち回れる自信があります。

一見自分にとっては無駄に思えることでもどう捉えどうするか次第で大きく結果は変わります。もちろん見極めは大切です。やらなければいけないことがあるのに他のことをやっていてはなかなか前へは進めません。ですが時には遠回りをする方が近道になったりします。人生は何が起きるか誰にもわかりません。わからないからこそ何が起きてもいいような心構えをし、いろいろな経験をすることが大切なのかなと思います。



つい3日前(この記事は2015年11月15日に書いてます)にフランスのパリで同時多発爆破テロ事件が起こりました。死者は100人を超え、負傷者は1000人以上。とても痛ましい事件です。亡くなった方のご冥福を祈ります。

pray for paris



この事件について人それぞれ違った思いを抱いていることでしょう。アメリカの大統領候補の1人であるトランプ氏はパリ市民が銃を所持していたら状況は違っていただろうと考えているそうです。Facebookでは多くの人がプロフィールをフランス国旗の赤青白の色に変え追悼の意を表しています。家族や友達の安否に安堵している人もいれば大切な人を亡くし深い悲しみに囚われている人もいます。当事者でない僕たちは当事者ほど物事を考えないかもしれません。ですが大きな事件が起きたからこそ今一度生死について考えてみるよい機会かもしれません。




正直なところ自分自身に関して言えば痛ましい事件が起きようがショックな出来事が起きようが自分の生死観に関して大した影響はありません。なぜなら僕は毎日明日自分が死ぬかもしれない、家族が死ぬかもしれない、大切な友達が死ぬかもしれないという覚悟を抱いて日々を過ごしているからです。そして同時に1日の終わりに無事何事もなく1日が過ぎたことに感謝をしています。
自然界では明日、今日、1秒後に死ぬかもしれないというのは普通のことです。動物は人間のように考えることはしないかもしれませんが、生き残るため本能に従い生きています。
同じ明日は必ず来るものではありません。あなたが生きている今日は誰かが生きれなかった今日であり、あなたが生きる明日は誰かが生きたかった明日です。


日本はとても平和な国です。良くも悪くも日本人は平和ボケしてます。僕は平和ボケすることは悪いことではないと思っています。それは平和な日本を願い戦争で命を落とした方々の想いの結晶であるからです。自分の子供や孫には戦争の悲しい辛い思いを経験ぜず幸せに生きて欲しいという願いと行動の結果が今の日本の平和です。ただし、全員が平和ボケしていては国は存続していくことは難しいです。上に立ち率いる者は国を憂い、立ち向かわなければなりません。それは国を国民を想う人がやればいいと思います。本来なら政治家はそういった人が目指すものだと僕は思うのですが現実はそうでもないみたいですね。悲しいです。




さて、少し話がズレました。戻します。



家族や友達と頻繁にあっていると相手がいることが当たり前になり、いつしか感謝の気持ちが薄れてしまいます。
今一度考えてみてください。
大切な人が生きていて今日も会えるという幸せを。
そして明日会えなくなるかもしれないという現実を。



今の世の中何が起きるかわかりません。世界は確実に混迷の道をたどっています。明日どうころぶかわかりません。第三次世界大戦が始まらないと言い切ることはできないのが今の世の中です。そして日本は絶対に戦争に巻き込まれないと言い切ることもできません。




僕は物事を大きく考えすぎてしまう傾向があるのでみなさんはそこまで考える必要はありませんが、自分の目が届く範囲の世界を、手の届く範囲の幸せを考えてみてください。

それが今回のパリでの起こった事件に対する当事者でない僕たちが出来ることではないでしょうか。



どんな事件もやがて風化し、歴史に変わります。歴史とは必ずしもすべてその通りに起こったことではありません。誰かの記憶であり、誰かの目を通した事実でしかありません。


善悪とはなんでしょうか。
大多数の意見が善で少数意見は悪なのでしょうか。
勝ったものが善で負けたものは悪なのでしょうか。


片面から見ただけでは全体像を想像することは出来ても把握し切ることはできません。
一つの情報だけではすべてを知ることはできません。





情報は時に武器になり、身を守るための手段になり得ます。
感情は時に正義の理由になり、悪意の塊になります。
人が争うのは相手を打ち負かしたいからであり、何かを誰かを守りたいからであり、何かを得たいからであり、何かを失いたくないからです。


原因があり結果があります。ですが原因はいつも一つとは限りません。むしろ複数のことの方が多いです。





考えること。簡単のようでとても難しいことです。
誰しも妥協したくなるものです。ですが考え抜いた先に見えてくるものがあります。そこへ辿り着くのか、途中で諦めるかは自分次第です。




何も考えず目の前の幸せを大切に生きるのもいいと思います。
目の前の幸せを追い求めてる人たちが幸せになれるように考えながら生きるという道もあります。
考え悩み苦しんでいる人たちを導くという生き方もあります。


人生人それぞれ。重要なのは自分が選んだ道を責任を持って生きるということ。

責任とはなんでしょうか。




自業自得とはよい言葉です。良いことも悪いことも自分のせい。たとえそれが突発的なことであっても元を辿れば自分へと結びつきます。

因果応報

たとえ悪いことが今の自分のせいではなかったとしてもそれは受け入れ、耐え忍ぶべきことなのかもしれません



たとえどんなことが起こっても前を向き歩み続けた結果報われることがあります。ですが報われないこともあるのは事実です。



僕の持論ですが、すべての人が一生にうちに同じように報われることは無いです。人は生まれた時から平等ではなく、だからこそみな平等なのです。



報われない思いを何度も経験して人は成長します。何度も生き、そして死に、いつかすべての人が報われる時が来るでしょう。それは何億年も先のことかもしれないし、もっと先の未来のことかもしれません。地球はあと50億年もすれば太陽に飲み込まれ確実になくなります。ですが、人々の魂は消えることなく生き続けるでしょう。それがどこでの話かは僕にはわかりません。目に見えない世界というのは絶対に無いと証明することは出来ません。


目に見えるものだけを信じていては理解できないことが世の中にはたくさんあります。
目に見えないものを信じる必要はありません。理解しなくてもいいです。受け入れることが出来ればいいのです。

もし未知な物事や考え方をみなが受け入れることが出来るようになればこの世の中はもっと良いものになるでしょう。



大事なのは頭ではなく心だというのはそういうことです。






人が考えることをやめる理由の一つは受け入れることであり、もうひとつは拒絶することす。
この2つの理由は正反対の結果を引き起こします。




世界はたくさんの人の思惑がからみあって日々変化しています。明日どうころぶかは誰にもわかりません。ただ、結果を予測することは出来ます。
何かが起こってから慌ててパニックに陥るのか、何かが起こってもいいようにいくつものことを先に考え冷静に対処するのか。
すべては自分次第。






僕が世界に出てよかったと思う大きな理由の一つは考え方の幅が広がったこと。
物事を多角的に捉え考えることが出来るようになりました。

考えることは面白くて面倒くさくて楽しくて辛くて簡単で難しいことです。


考えることをやめるのもよし。
考え続けることもよし。








すべては自分次第。



運命とは選択によって導かれるものである。









さて、眠くなってきたので考えることは今日はここまで。

たまには自分の頭の中で考えていることを文字に書き起こしてみるのも面白い…




次はどんな記事を書こうか考えながら眠るとしよう。


Mits
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